ショートエッセイ#22「少子化問題」
少子化問題、その解決策はどこに?
新年にあたり岸田首相は「異次元の少子化対策」と名打って金をつぎ込むぞ、だから少子化を食い止める策を出せ、と大臣に指示した。ご承知のとおり、これまでも少子化を食い止めるために、生殖医療の拡充、出産から子育てを助ける経済支援と環境整備など様々な努力がなされてきた。しかし減少の一途だ。
妊娠・出産の適齢期は20歳台(広くみてもまあ30歳代前半ぐらいまで)、ということは疫学的研究からの一般常識だ。受胎率、自然出産率、胎児の周産期死亡率、妊産婦死亡率、胎児・新生児の染色体異常のリスクと母体の年齢との関係研究からの結論だ。勿論、40歳すぎても健康な赤ちゃんをさずかる幸運な例は少なくない。医療技術が進んできている今、35歳すぎたらやめたほうがいい、ということはではない。しかし日本女性の平均初産年齢は2011年以来30歳以上が続いていることは厳然たる事実だ。つまり適齢期での妊娠・出産を阻んでいるなにかがあることは明らかだ。 とすれば、子供が生まれたら金を付ける、子育て環境を整備する、ということで問題が解決するのか。子供を育てようと思う頃にはとうに適齢期を過ぎてしまっているところで金をつぎ込むだけでいいのか? 適齢期に受胎・出産を許さない敵はいったい何者なのか。その本性を見抜けなくてこの戦いに勝てるのか?
そんな疑問を思うなかで、解決が迫られている。首相は大臣に考えろといっているのであり、私自身、大臣からよい解決策が生まれることを期待している。しかし大臣は市民が選挙で選んだ議員なのだから、解決策が失敗してもその責任を大臣のせいにすることはできないだろう。それが民主主義だとすれば、市民の1人としても考える責任があるのではないか、その気持ちで以下に愚考を吐露する。ご参考となれば幸いである。
いまどき、20代の若者は男女ともに多忙を極めている。次世代をはぐくむ適齢期だなどと考える前に、なんとか自分の求める自分になるために、すべての時間と能力をつぎ込め。自分も回りも考え方は一致している。そこで、高学歴の専門職を目指す。スポーツや芸能に全力投球する。また会社の社員となれば、将来の幹部となるために社員教育に集中する。成功には国をあげての喝采が送られるのだ。
ところで、子育てというのは自分以外の存在を認め、育成するということだ。ある程度自分の犠牲はやむを得ない。そういった気持ちでないとできないことだ。それが次世代をになう大切な生命であるとしても、いまを生きようとしている自分と競合する生命でもあるのだ。
それでは、意志もまた能力も発揮できない弱小な次世代の立場に立つ味方は誰だ。いままでの考えではそれは親だということになる。しかしいまや親はそんな次世代の命と競合する存在になってしまっているのではなかろうか。あるいは競合が起きないように、余裕ができるまでは出産を抑えようと考えている者が多いということなのではないのか。
それでどうする? 私が思ったのは、子供、あるいはさらに出産にいたる以前の胎児の段階からも、その生命の成長しようとする意志を助ける力を与えて、その力で敵と渡り合え、成長できる環境を作る、ということだ。
どんな力を与えるのだ。いくつか考えられるが第1選択は選挙権だ。妊娠したどこかの段階で、胎児に選挙権があると決めるのだ。誰が決める? 国会で議員が法律を作って決めるのだ。どうやって胎児が投票するのだ?その法律が決めた責任ある代理人が投票するのだ。多くの場合は親であってよいかもしれない。でも親がいなくとも、あるいは親が適任でない場合にも適当な代理人が選べるように法律で決めておけばよいのだ。
命が生まれ、成長する権利を求める票田ができれば議員は動く。本当に子供のためのさまざまな仕組みが作られていく。法律をつくるためにさしたるお金は無用だ。これできっと子供は育つ。子供は増える。そんな考えはどうだろう。
2023/01/13 松村外志張