ショートエッセイ#12「母の健康法」

私の母は明治39年(1906年)石川県の農家に生まれ、20歳で結婚、2010年以降東京に定住し、7人の子供を産んで5人を育て、40歳で夫を病に失い、すべての子供が独立した60歳まで一家の柱となって働きました。以後楽しみの多い晩年を過ごして96歳他界しました。
最晩年の数年を除いて健康そのものの人でした。
母の夫、つまり私の父親は体が弱かったものですから、父親の食事は特別で、卵とか魚に気を配っていたと記憶します。蛋白質の大切さ、ということは当時すでに分かっていたのでしょう。 父親も石川県の農家の出身でしたが、町に出た者は農作物は作ってはならぬ、それは農家の仕事だ、という考えで、庭には柿の木一本植えさせない徹底ぶりでした。
子供と母を郷里に疎開させて自分は勤務地の東京に残った父は終戦の年に病死し、戦後、小さい子供らと一緒に疎開から戻ってきた母は庭に野菜をつくり、果樹も植えて、大いに食卓を賑やかにしました。植え込みの上をカボチャの蔓がよじ登っていた記憶があります。
日常は石川県農家風の昔ながらの食事で、煮た野菜や煮豆を沢山食べました。茹でた枝豆や空豆を食べるなんてことはほとんどなく、干し豆を煮豆で食べるのです。煮ないのはトマトと漬け物くらいでした。
戦後は厳しい経済環境に違いなかったと思いますが、ミカンなどは箱買いしていて、沢山食べていた記憶があり、栄養に気をつけていてくれたんだと今感謝してます。
ずっと後になって、お母さんが健康なのはどうしてだと思う?と聞いたことがあります。母はしばらく考えていて、きっと自分は豆が好きで、沢山食べてきたからだろうといいました。ヒジキとかニンジンや昆布などをいれて醤油味で煮た大豆の煮豆のことです。
老後、沢山の友達を得て手芸や染め物を楽しんでいたことも健康に大きな力になったことでしょう。写真は母が作った加賀手まりです。

20210416松村記

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