ショートエッセイ#10「コロナ時代に至った高コレステロール血症」

新型コロナウイルス肺炎が世界を激しく揺さぶっている今、心臓血管病が糖尿病とならんでその重症化を引き起こす基礎疾患だ、ということが分かってきています。
心臓血管疾患をもたらす大きな要因が高コレステロール血症であることは皆様御存知のことと思います。 しかし昔、高コレステロール血症の人の方が、そうでない人よりも長生きしたことを示す報告を見つけました。
オランダでは、正確な家系図が多数保存されているようです。そんな中から、現在生存している方々で家族性高コレステロール血症(familial hypercholesterolemia,以下FH)である方の家系をたどって、FHの遺伝子がどのような家系を通じて現代までに至ったかを推理した研究者がいました。 FHは常染色体性優性遺伝という種類の遺伝様式を示します。つまり、両親からあわせて二つの対立染色体を受け取るのですが、その内一つの染色体に高コレステロール血症をもたらす遺伝子が乗っていれば、FHになるのです。父親母親両方からあわせて二つの高コレステロール血症遺伝子を引き継いだ場合には、重度なFHになり、早世する場合が多いのです。
この家系図分析から推察されたことは、今から180年ほど前、すなわち1840年頃には、FH素因を持った人の死亡率は、持たなかった人よりも実に40%ほども低かった。つまり長生きしていた、ということでした。現在FHの方の平均寿命はそうでない人と同程度あるいは短いですから、全く逆の世界だったのです。この調査研究の報告者は、FHであることが、なんらかの理由で細菌に対する抵抗性を高めていたからではないか、との仮説をたてています。当時のオランダでは牧畜が盛んで、衛生状態も悪く、感染症がはやっていました。細菌感染によるチフス、ジフテリアなどが思い浮かびます。1900年代に入ると、抗菌剤、血清(抗体)療法、抗生物質などがでてきて、人類は細菌に対する戦いに打ち勝つようになりますが、その以前のことですから、このような仮説もなりたつかもしれません。
この仮説を評価する実験として、組織中の低比重リポタンパク  (LDL,正確にはnon-HDL)の濃度が高い時にはその組織中の炎症性呑食細胞が多くなるという報告を見つけました。
それでは、FHの人は新型コロナウイルス感染にも抵抗力を示すでしょうか。調査結果はノーでした。逆に心臓血管疾患の既往のある方では重症化するリスクが高く、その原因となっている高コレステロール血症につよい危機の目が降り注がれています。ある論文にはFHでの重症化率はそうでない人の22倍にもなる、と警告を出しています。いまのところ、その予測を実験事実で裏付ける論文に行き当たりませんが、私が推察するところは以下のようです: 新型コロナ感染は細菌感染でなくて、ウイルス感染です。炎症性呑食細胞は細菌を捕食しますが、ウイルスは捕食できません。ウイルスは感染するとすぐに細胞内に潜り込んでしまい、呑食細胞は潜り込んだ細胞を捕食することができないからです。ウイルスと初戦で戦うのはナチュラルキラー(NK)細胞です。 NK細胞はウイルス感染した細胞を撃ち殺し、あわせてウイルスも排除するのです。この戦いには高コレステロールはなんの役にもたたないでしょう。かえって、高コレステロールの結果として弱っている血管内皮を激しく攻撃して、疾患をますます重くしてしまう、そんなイメージが思い浮かびます。いずれ研究が進んで真実が解明されるでしょう。
たかだか数百年のあいだにも、人間の体と自然との闘いの形が変わります。あの体質が悪いとかこの体質がよいとかいうことではなく、多様な体質を含めた人類こそ、自然との闘いに勝ち残っていくことができるのではないでしょうか。
松村記